初版へのまえがき

2012年1月2日

 ここに『卒業論文執筆必携』が編集されて、四年生の諸君に手渡されるにあたり、一言、まえおきを述べさせていただきたい。

 「卒論の比較歴史社会学」は、わたくしとして、いつか手を染めてみたいと思っているテーマであるが、残念ながら、いまだ機会をえない。しかし、「卒論」はおそらく、西洋中世のツンフト(universitas)としてのボローニャ型大学で、その主体的構成員たる学生が、みずから学問的カリスマを証明し、「師匠magister」の資格を取得するための要件として、創設されたものであろう。それが、19世紀初頭、「フンボルトの大学理念」にもとづく近代型大学(代表例としてベルリン大学)に継受され、これを範として、わが国の大学にも移入されたものと思われる。この間、卒論が、学生と教師にとり、また卒論を仕上げて無事合格した卒業者を受け入れる社会にとって、いかなる意義を帯び、この意義がいかなる変遷を遂げてきたのか、を比較社会学的に考察するのが、上記テーマの課題である。

 それはともかく、わが国の現状をみると、卒論がこれほど軽んじられている社会状況はないといっても過言ではあるまい。昨年夏休み明けの卒論中間発表会のさい、4月の構想発表会のレジュメと照合しながら、ひとりひとりの報告を聴いたところ、その間、ほとんど進捗がみられないのを知って愕然とした。これで、残り4カ月足らずのうちに、はたして作品を仕上げられるのか、と心配したものである。ところが、いざ最終提出物を読んでみると、みな、けっこうよく書けており、なかにはすぐれた論考もあって、当初の危惧は杞憂に終わってくれた。思うに、夏休み中は、みな、就職活動に奔走していて、卒論など、ほとんど手につかなかったのではあるまいか。

 この経験から考えると、本学の学生諸君は、よい素質と能力に恵まれている。ところが、学問は、素質と能力に加えて、なによりも集中の持続を必要とする。これがなければ、よい作品は仕上がらない。そうした集中の持続を、学業期間中であることを承知していながら、割り込んで中断させ、あるいは少なくとも攪乱するのが、①企業の「青田刈り」 (近視眼的な人材漁りのエゴイズム) であり、②大学を就職予備校であるかに思いなして入学し、就職活動を優先させる学生と家族の短見であり、③これらに抗議して、制度上、求人-求職活動を卒業後に繰り延べさせ、在学期間中は学業に専念できるようにして、学問・教育の府としてのオートノミーを確保し、その責務をまっとうする方向に、改革していこうとしない、大学教師一般の事なかれ主義である。
 
 いずれも、状況論としては、無理もないといえるかもしれない。しかし、原則論としては、近代社会とは、諸君も知ってのとおり、産業・政治・学問・芸術などの諸領域が、社会的分化を遂げ、それぞれがオートノミーを取得し、相互に尊重しあって、それぞれの責務を果たしあっていくような社会でなくしてなんであろう。とすれば、卒論をめぐる上記の現状は、わが国が、ポストモダン論議華やかな影で、実態としては依然として近代社会の体をなしていない、という実情の証左ではあるまいか。

 では、学問・教育の府としての大学に固有の責務とはなにか。それは、状況の〈流れに抗して〉、右顧左眄することなく、原則的に間違っていることを「それは間違っている」とはっきりいいきれるような、批判的理性をそなえた主体を育成し、わが国がふたたび、とんでもない方向に流されていくのを防ぐことにあろう。あるいは、もっと積極的にいえば、「国家百年の計」を案ずるのが政治家の任務であるとすれば、22世紀の地球と人類のあり様を見通して思考を凝らすのが、研究者の責務である。そして、諸君は、将来、たとえ大学や研究所を職場とする狭義の研究者になるのではなくとも、それぞれの職業現場で、未知の問題に挑戦する広義の研究者として生きていってほしい。 

 しかし、わたくしたちは、この現実から出発する以外にはない。その第一歩は、諸君が、卒論への集中を妨げるような、状況の〈流れに抗して〉、卒論執筆への集中を持続し、教師も、その作品を、もっぱら学問的な観点から、厳正に評価することであろう。

 こうした方向への一助として、今回この『卒論必携』が編集された。資料蒐集・独自編纂・印刷・製本などの労をとられた丹邉宣彦講師と院生の石原紀彦君に、記して深く感謝したい。

(1997年4月7日 折原浩記)